赤いティーキャリア

「赤いティーキャリアー」と慶喜と漱石

自転車が好きだ、とはっきり自覚したのは随分大人になってからでした。結婚もして、もう子供も生まれていましたし。

でも振り返ってみると子供時代に、いくつかの自転車にまつわる鮮明な記憶があります。その一つが、「赤いティーキャリアー」。

赤いティーキャリア

こんな風に前輪が大きくて後輪が小さいクラシカルな赤い自転車が当たる、リプトン紅茶のキャンペーンがあったのです。流石に、もうちょっと乗りやすそうなバランスだったと思います。

おそらく小学校高学年の頃だったでしょうか。当時はシャーロック・ホームズが大好きで、それに伴いイギリスに憧れ、紅茶を飲みながら「英語はやっぱりクィーンズイングリッシュじゃなきゃね」と、将来の英語学習意欲を高めておりました。(結局、何イングリッシュも身につけられませんでした!残念。いやまだ間に合わないことはない??)

シャーロックホームズ

母にせがんでリプトン紅茶を何箱か買ってもらい、応募シールを貼ったハガキを何枚かポストに投函したことも覚えています。そのときの祈るような気持ちも。でも残念ながら、全てハズレてしまいました。懸賞ものとしては人生最大のガッカリ落選でした。

ところで「赤いティーキャリアー」のティーキャリアーって何?

当時は前車輪が大きくて、後車輪が小さい自転車の名称だと思っていました。でも改めて見てみると、「お茶運ぶ荷台」ですか?

久しぶりに思い出したこのワードをググってみました。結構、昭和の思い出、引っ張り上げてくれますよね、Googleって。けれども今回はそれらしい情報には出会えず。

前後で車輪の大きさが違う自転車は、「オーディナリー型自転車」と呼ばれるようです。前輪が本当に大きく、その前輪の中心にあるペダルを漕ぐのですから、漕ぎ出しがメチャメチャ怖そう。それに、どうやって座るんだろう?

日本では「ダルマ型自転車」と呼ばれ、徳川慶喜(1837年- 1913年)が1867年の大政奉還後に隠居生活を送っていた静岡で乗り回していたとか。趣味人の鏡ですね。

徳川慶喜

しかし自転車の歴史はそうしてみると意外と浅い!蒸気機関がイギリスで実用化されたのが1780年頃、日本において蒸気機関車が新橋・横浜間を走り始めたのが1872年。人力で走る自転車は、蒸気機関車よりずっと前から存在しているものだとばかり思っていました。でもよく考えてみれば、チェーンの発明が画期的で、それには高度な金属加工技術が必要ですものね!

前後輪の大きさが同じで、チェーンで後輪を回すという形が生まれたのは1885年頃、そこから目覚ましい進化が繰り広げられ、今の自転車がある訳です。

明治時代、自転車は最先端の、メチャメチャ尖っている憧れの乗り物だったのでしょう。イギリス留学中の夏目漱石が、自転車の乗り方を習って悪戦苦闘する自らの様子を描いた「自転車日記」というエッセイがあります。私はこのエッセイを読んで夏目漱石のイメージがガラッと変わって、大好きになりました。こんなユーモラスな人だったんだ!

夏目漱石

(青空文庫で読めます。 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)

結局、自転車に乗ることを諦めた漱石のことを、私は「あー、ちょっとどんくさいのね」と思っていたのですが、今回、それは漱石先生に謝らないといけないなと感じました。自転車は、今の私たちの感覚とは全く違った乗り物だったのでしょう!むしろ、挑戦する姿、あっぱれ、素晴らしい!!

結局、「赤いティーキャリアー」の謎は解けませんでした。でも、自転車の歴史を少し知ることが出来てなんだか得した気分です。

それにしても、実際、どんな自転車だったのでしょう。もし当たっていたら、当時の私は乗れていたのかな??

 

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